1. 言葉にするということ

はじめに

私たちは日々、無数の判断をし、選択をし、意思決定をしています。
しかし、その多くは「言葉になる前の状態」のまま、内側で処理されています。

違和感を覚えたとき。
何かを選びきれないとき。
うまく説明できないまま、話が終わってしまったとき。

そうした場面で起きているのは、「語彙の不足」や「表現力の問題」ではありません。
問題はもっと手前にあります。

言葉になる前の段階で、すでに認識が曖昧になっている。
判断の輪郭が定まらないまま、次の行動に進もうとしている。
その結果として、「うまく言えない」「伝わらない」という現象が起きます。

ここで扱う「言葉にする」という行為は、単なるアウトプットの話ではありません。
それは、自分の中にある認識を可視化し、構造として取り出すプロセスです。

言葉は、自分と世界をつなぐための橋です。
その橋が不安定であれば、思考も判断も、伝達も不安定になります。

ここでは、「言葉にする」という行為の内部で、
実際に何が起きているのかを整理していきます。

言葉は「思考の可視化」

「言葉にする」とは、思考を見える形に整える行為です。

そもそも、私たちが「言葉」を使うのは、誰かと何かを共有するためです。

もし自分ひとりの世界だけで完結するなら、わざわざ言葉にしなくても
抽象的な思考のままで済んでしまうはずです。

それを、あえて「言葉にする」というのは、
自分の中にある思考という“目に見えないもの”を、他者にも共有できる形へと変換する行為です。

ですから、前提として、言葉にする以前に、自分の頭の中に“伝えたい何か”があります。
そして、そこには「伝えたい」という想いの“トリガーとなった何か“があったはずなのです。

何かを感じ取り、
それを自分なりに整理し、
言葉として形にしていく。

言葉は、こうした複数の段階を経て生まれます。

このプロセスを飛ばして、いきなり言葉にしようとしても、無理があります。
多くの人が「言葉にできない」と感じるとき、このプロセスがうまく進んでいないのです。

言葉は「鏡」

自分の思ったこと、考えたことが言葉として映し出されます。
その意味で、言葉は「外から見た自分の姿」に通じます。

形にすることは、整えること。
整えることは、自分を理解すること。

ただ「なんとなく」の理解が、自らの意思と目的を持って言葉に整えられたとき、
その言葉に「自分自身」が映し出されていることに気が付くと思います。

それは、優劣や良し悪しといった判断ではなく、
周囲の意見といった外からの評価からも影響を受けない、自分としての立ち位置の明確さです。

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