「ありたい自分」は、どんな自分?

前回のブログでは「なりたい自分」について書きましたが、「なりたい自分」と同じくらい良く聞くのが「ありたい自分」です。

では、「ありたい自分」とは、どんな自分で、「なりたい自分」とはどんな違いがあるのでしょうか。

最初に、改めて「なる」と「ある」の性質を簡単にまとめます:

なるvsある
もっと細かく言うと、使われる助詞の違い、(「が」と「は」、「に」と「で」)も「なる」と「ある」の持つ性質の違いをよく表しているのですが、助詞の性質の解説まですると話が膨らみすぎるので割愛します…

希望、願望を表す「たい」が付いた、「なりたい」「ありたい」という形を見ると、この2つのニュアンスの違いは、より明確になります:

「なりたい」を使った場合は、本人の「こうだったらいいな」という希望や理想を表すと同時に、その裏には「今は(残念ながらまだ)そうじゃない」というニュアンスが含まれています。

→「なりたい」は、目標であると同時に、憧れ。

「ありたい」は、過去、現在、未来という流れで捉えるのではなく、「そもそも自分は、どんな存在の姿(在り方)でいたいのか」という”自分の姿”を表しています。(”心の立ち姿”と私は呼んでます)

→「ありたい」は、理想であると同時に、意思表示。

このように区別できます。

だから「ありたい自分」を表すときには、

– 思いやりの持てる人でありたい。
– 信頼される人でありたい。

といった具合に、人としての本質的な価値観に繋がっているのです。

ところで、世の中では「常識として」や「一般的には」「普通は」といった括りで、特定の価値観が優先されています。ポリティカル・コレクトネスも、これに当てはまるでしょう。

そうした”常識的”な価値観に意味はありますし、間違いではありませんが、それが、自分の考えとは合ってなくて、”本心からは同意できない”、”納得できない”という場合もあるものです。

そんな時、摩擦を避けるために「そういうものだよね」と、自分を納得させてしまうことも多いです。
でもそれは、「私は…でありたい」ではなくて、「私は…であるべきだ」「そうした方がいい」と、自分に言い聞かせているだけのはずです。

言葉の選び方は、無意識であればあるほど、本心を表しているものです。
「ありたい」なのか「あるべき」なのか。
声に出さなくとも、自分の心が一番良く知っているはずです。

「ありたい自分」は、同調圧力や既成概念から派生するのではなく、自分の意思で「私はこう!」と決断した「理想の自分」です。

「A=B」つまり、「私は◯◯」なのです。

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「ありたい」は必要?「なりたい」だけでは?

結論から言えば、「ありたい」は必要です。
「なりたい」だけでも生きては行けますし、いわゆる”成功”もするかもしれませんが、自己実現という意味では、ありたい自分を認識しないままでは不十分です。

「なりたい」は、例えば「大きくなったら消防士になりたい」といった具合に、具体的な目標設定に適しています。ですから、特定のレベルやポジションに到達するのを目標として、モチベーションを上げるのには、とても有効だと言えます。

ただ、「ありたい」を考えずに「なりたい」だけを優先させてしまうと、最終的には迷子になってしまう危険性が高いのです。

例えば受験。

「東京大学に入りたい」は、言い換えれば「東大生になりたい」ですね。
勉強して、無事合格したとしても、そこで何を学びたいのか、卒業して「東大生でなくなった」時に、自分は何者で、どうしたいのかがわからなくなったら、とても残念な結果になるかもしれません。

何かに「なりたい」と思う気持ちは理解できますが、そこが最終目標であってはいけないのです。

そこまで落とし込まないと「こんなはずじゃなかった…」となってしまうでしょう。

「ありたい」には、自分の生き方や日頃の心構えが映し出されます。
自分にとって意味のあるもの(価値観)を、実際の言行で表現することになるのです。

しかも「ありたい」は、自分で決めることなので、自律が問われます。
「いつか…」「そのうち…」という先延ばしもありません。
「ありたい」は厳しいのです。

でも「ありたい」は自分らしく生きるチャンスです

「ありたい」は「どうやってそれを実現するか」というHowを定義しません。
達成方法は、自分の判断に委ねられているのです。

例えば、「医者になりたい」と希望するなら、医学部に進んで、医師国家試験に合格するという流れが必須です。これは、自分では変更不可能です。

でも「他の人を助けられる自分でありたい」なら、いろんな形での活動が考えられます。
自分がいる環境、スキル、能力に応じて、職種や場所に限定されずに、自分らしい方法で他の人を助けられるのです。

「ありたい自分」が分かれば、本当に自分らしく生きる方法を探すことが可能になります。
そして、自分らしい生き方が分かれば、そこから「なりたい」も導き出すことができるのです。

「ありたい」と「なりたい」は、ニワトリとタマゴの関係に似ています。

場合によっては、先に「なりたい」があって、それを突き詰めたら「ありたい」がわかった、ということもあります。(ロールモデルもこれに該当します)

それでも…

「自分らしい人生」を創造するためには「ありたい自分」を考えないと、途中で自分を見失います。
「なりたい」だけでは不十分なのです。

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ロールモデルを使って「ありたい自分」になる

『ありたい自分』の大切さはわかるけれど、具体的なイメージが湧かない。

そんな風に思うかもしれません。

その場合、自分が素敵だと思う人を想像してみるといいです。
身近な人でも、有名人でも「私もあんな人になりたいな」とい思える人を想像してみてください。
いわゆる「ロールモデル」です。

その時に、「あの人、素敵だな。私もあんな風になりたいな」と思うだけではなく、

と、突き詰めていくのです。

自分が「あんな風になりたいな」と思う”◯◯さん”は、「ありたい自分」を象徴しているだけです。
大事なのは、自分が本当になりたいのはどんな人なのかを、見極めることなのです。

ロールモデルの”活用方法”としては、何かで悩んだ時に「◯◯さんだったらどうするかな?」と想像して、実際に「◯◯さんであるかのように」行動してみるといいでしょう。

ロールモデルを見つけると、具体的なイメージが湧くので、「どうしたらいいのかわからない…」と悩む時間を減らして、「ありたい自分」に「なる」行動が起こし易くなります。

ロールモデルなんて、単なる真似じゃないか?
『自分らしく生きる』と真逆じゃないか?

そう思うかもしれません。

大丈夫です。

共感する。
いいと思う。
素敵だと憧れる。
…etc.

そんな風に感じる時点で、その人は”自分の価値観を体現している”人だということです。
人は”自分にはないもの”には共感しませんから。

心から「素敵だな」と思っているのなら、それは単なる真似には終わりません。
ロールモデルは、価値観の表現法を習うための存在(雛型)なのです。

例えば、ファッションでも、素敵だと思うコーデを真似しているうちに、自分に合うもの、合わないものが徐々にわかってきて、いつか「自分のスタイル」になってきます。

ロールモデルもこれと同じです。

ロールモデルという「型」から入って、それを真似ているうちに、自分本来の価値を、自分ならではの方法で生きる「自分らしい姿」が築かれていきます。

「ありたい自分」は、ただの理想でも、誰かの真似でもなく、現実の「自分」になるのです。

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あなたの「なりたい自分」「ありたい自分」はどんな「自分」ですか?

ロールモデルはいますか?
いるなら、それは誰ですか?

コメントやメールで教えてもらえると嬉しいです。

NK